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野宮 朋美(のみや ともみ)
18歳。風貌は強面だが、陽気な性格。
西高校でバスケットボールに打ち込んでいたが、チームメイトの高橋などと対立し上手くいっていなかった。その後素行が荒れ、偶然声をかけた山下夏美を乗せたバイクで交通事故を起こし、夏美を下半身不随にしてしまう。
それを遠因に高校も退学。自分のせいで夏美の人生を狂わせた罪悪感に苛まれているが、清春と出会ったことで自分を変えようと行動し始める。加害者として夏美への責任を果たそうとしているため、免許を取得し車で夏美の入院先の病院まで時折遠出している。
バイトも始めるが、生来の粗暴さゆえにどの仕事も解雇され、やっと自分の居場所を確立した引越し業者の仕事も数か月で会社が倒産してしまう。その間、タイガースのチームアドバイザー的な役割を務める。
その後、プロバスケチーム「東京ライトニングス」への入団を目標に特訓を開始し、トライアウトに臨む。最終選考まで残るが、採用の連絡が無く落選してしまう。トライアウトの失敗後、ライバル視した安西義輝がますます輝いているのを見て、「悔しさを感じることがなくなった」として、バスケから身を引いてしまう。母親が頻繁に旅行に出かけており、何かとそのお土産を人に渡す癖がある。
安直樹(やすなおき) 野宮 朋美のモデル選手
人一倍スポーツが好きで、活発な少年時代を過ごしていたが、14歳の時に左足股関節骨の病気のために受けた手術を受ける。しかし手術ミスによって、重い後遺症を持つようになった。
障害を負った時の気持ちを、「当時自分には、障害者=最悪というイメージがあって、自分がそうなったことのショックが大きかった。同級生に見られるのも嫌だった」と振り返っている。
一時は不登校になったが、母の勧めで見学に行った車椅子バスケを見て、障害を感じさせない迫力あるプレーに魅了されはじめ、自らも没頭するようになった。以後、車椅子の格闘技とも呼ばれる激しい競技の第一線で活躍する選手に成長し、現在では「手術をミスしてくれて感謝しているぐらい」とコメントしている。
また、車椅子バスケットボールを「イスバス」と呼び、より一般的に認知してもらえるよう積極的に活動をしている。現在ではウェブ辞書でもイスバス(Yahoo辞書)が掲載されるほど広く浸透しており、障害者スポーツの認知や理解獲得に貢献しているアスリートの一人となっている。
日本を代表するアスリートとして海外チームで活躍するとともに、国内の小中学校等での講演活動も行っている。「僕のプレーを通して“本気で何かを好きになること”の大切さを伝えたい」と語り、障害者のみならず健常者の子供・保護者達にも大きな影響を与えている。 エイベックスに所属し、年俸500万(推定)というトッププロ選手であった。
2014年7月、「東京パラリンピックで結果を出したい」との意志から、20年以上のキャリアのある車椅子バスケットからの引退を電撃表明。 引退後は、陸上、水泳以外の夏期種目にチャレンジ。 2015年3月車椅子フェンシングを初め、翌4月には日本代表に選出。 7月にはワルシャワで行われたW杯に出場。
全敗で一次リーグ敗退ながら、「東京で結果を出すという事を考えれば、行って大正解。それに完封敗けは一度もなかった」と前向きな発言。
東京パラリンピック開催時には42歳を迎るが、「フェンシングに出会えて、本当によかった」と語っている。
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