もくじ
競技概要
卓球は一般の競技規則に準じて行われるが、障がいの種類や程度によって一部の規則が変更されている。例えば、車いす使用の選手のサービスでは、エンドラインを正規に通過したボール以外はレット(ノーカウント)となる。
また、障がいにより正規トスが困難な選手の場合は、一度自分のコートにボールを落としてからサービスすることが認められている。
競技は男女別に個人戦と団体戦があり、選手は障がいの種類や程度、運動機能によってクラス分けされ、クラスごとに競技を行う。
クラス分けは、1~5が車いす選手、6~10が立位の選手、11が知的障がい選手となっており、個人戦では男子が11クラス、女子が10クラス(クラス1と2が合同で行われる)で順位が競われる。
団体戦は、男子がクラス1-2、3、4-5、6-8、9-10の5つのクラス、女子はクラス1-3、4-5、6-10の3つのクラスが行われる。
卓球日本代表 9月9日~18日
別所キミヱ クラス5
吉田信一 クラス3
岩渕幸洋 クラス9
竹守彪・伊藤槙紀
名簿の判例
- ①名前(よみがな)
- ②性別
- ③年齢(2016年9月7日現在)
- ④現住所(都道府県・市区町村)
- ⑤勤務先
- ⑥所属先(クラブ・チーム)
- ⑦障がい種別
- ⑧クラス・持ち点
- ⑨競技パートナー(いる場合)
岩渕 幸洋
①岩渕 幸洋いわぶち こうよう ②男
③21歳(2016年9月7日現在)
④東京都練馬区
⑤早稲田大学
⑥早稲田大学 卓球部
⑦両下肢機能障がい
⑧TT9
- 1994年 12月14日生まれ東京都出身
- 2014年 仁川アジアパラ競技大会シングルス (クラス9) 3位
- 2015年 ハンガリ―オープンシングルス (クラス9) 優勝
- 2015年 スペインオープンシングルス (クラス9) 優勝
- 2015年 チェコオープンシングルス (クラス9) 優勝
もともとパラリンピックは、東京を目指していました。
リオではメダルを目標にしたい。リオで経験を積むことが大事だと思うし、東京での金メダル獲得につなげたいです。
また、バックハンドに(球離れが速くスピード重視、台の前陣でスピーディーなラリーを展開するタイプの人に向いている)「表ソフト」のラバーを貼っています。
僕は足が悪いので台に近いところでプレーします。速い球を取らないといけないのでリスクはあるけど、素早く動いてカウンターなど幅広い攻撃で立ち向かいます
「自分の得意なプレーは、台に近いところでのブロック、そしてブロックからのカウンター攻撃です。また、種類豊富なサーブからの3球目攻撃も自分の大きな強みです。得点した時の『ガッツポーズ』にも注目してください!」
竹守 彪
①竹守 彪たけもり たけし ②男
③22歳(2016年9月7日現在)
④千葉県松戸市
⑤株式会社ヤオコー
⑥TOMAX
⑦知的障がい
⑧TT11
中学時代に卓球を始め、知的障がいクラスの第一人者にまで成長。2012年FIDジャパン・チャンピオンシップ卓球大会で竹田隆(東京)と組んだダブルスで日本一に。
翌2013年にはシングルスで初優勝。以降同大会でシングルス4連覇を果たす。2014年にはアジアパラ競技大会で日本人として初のシングルス金メダル。
世界ランキング上位者に与えられるリオデジャネイロ大会の出場権を獲得。本番でのメダルを目指す。
力強いドライブを主体に、フォアハンドからのスピードあふれる攻撃が持ち味だ。知的障がいを持つ選手は、試合中のわずかな変化や、相手の変則的な動きに対する対応が難しいといわれる。
そんな中で、竹守は劣勢に立った時も精神的に崩れることがない。
吉田 信一
①吉田 信一よしだ しんいち ②男
③50歳(2016年9月7日現在)
④東京都府中市
⑤国立研究開発法人情報通信研究機構
⑥日本肢体不自由者卓球協会 ディスタンス
⑦両下肢機能障がい
⑧TT3
高校時代はバイクを乗り回した元ヤンキー。
髪はリーゼントで学生服の裏地には刺しゅうを入れていた。高3の時、福島県須賀川市の実家近くでのバイク事故で車いす生活になった。
吉田は金髪にこだわる。大会前になると散髪後、自身で髪を金色に染める。リオ大会でも髪形が期待されたが「出国直前にバタバタしていて、ブリーチを買おうとしたら買いそびれた。ちょっと残念…。髪形よりも結果にこだわる」と前を向いた。
隙あれば攻撃するカウンターを得意とする。本番(予選)を2日後に控え、元ヤンキーの眼光がマジになった。
伊藤 槙紀
①伊藤 槙紀いとう まき ②女
③31歳(2016年9月7日現在)
④神奈川県鎌倉市
⑤株式会社ひなり
⑦知的障がい
⑧TT11
伊藤さんが卓球を始めたのは深沢中学校に入学してから。それまでラケットを手にしたことはほとんどなかったというが「団体競技はコミュニケーションが難しい部分があった。そこで先生からすすめられたのが卓球でした」と母・享子さんは話す。
すると才能はすぐに開花。競技を始めて3年目の中学3年生の時に、横浜で開かれた知的障害者卓球の全国大会で優勝。国際大会にも出場するようになった。
リオ五輪開催中は、テレビで卓球日本代表選手の活躍を見て、大きな刺激を受けたという伊藤さん。「早く試合がしたい」と同じ会場で行われるパラリンピックに思いを馳せる。
別所 キミヱ 愛称:シャイニー
①別所 キミヱ べっしょ きみえ ②女
③68歳(2016年9月7日現在)
④兵庫県明石市
⑤兵庫県立障害者スポーツ交流館
⑥総合リハビリテーションセンター 体育指導課
⑦両下肢機能全廃
⑧TT5
世界ランキングはなんと7位
40代はまさに試練の連続。
40歳で夫と死別、さらに42歳でがんに冒され
そのときの手術がきっかけで両足が不自由に…。
1987年の42歳に仙骨巨細胞腫を発病してしまい、
60時間という大手術と2度の心肺停止に陥った状態からの復活でした。
術後は両足に麻痺が残ってしまったそうで、
そこから車いす生活をすることになったとか。
仙骨巨細胞腫とは
別所さんが車椅子になったのは、巨細胞腫という骨にできる腫瘍が原因だ。腫瘍は腕や脚の骨に生じることが多いが、稀に骨盤の中央に位置する仙骨にもみられる。転移はほとんどないといわれているものの、肺転移の症例が報告されており、その場合は予後が厳しくなってくる。また、再発すると悪性度が高くなる厄介な病気だ。
「初めは座るとお尻が痛んで、近所の整形外科では坐骨神経痛と言われました。仕事をしながら通院したのですが、痛みはだんだん強くなるししびれも出てきて、歩けなくなりました」
治療方法は、腫瘍のある仙骨を切り取る手術しかない。別所さんは神戸労災病院に入院。1990年1月、主治医である整形外科の裏辻雅章さんを中心に、外科や麻酔科がチームを組み、26時間にもおよぶ大手術が実施された。
この頃、別所さんに耐えがたい苦しみをもたらしていた痛みは、6時間おきに投与していたモルヒネが1時間くらいしか効かないほどになっていた。「死んでもいいからモルヒネを!」と、1日に何度も何度も訴えた経験を思い出す。別所さんは「がんの痛みを取るのは大切」と強調する。
「6時間ごとに1日4回のモルヒネ投与。それでは朝まで待てない。眠れないのです。私の痛みを見ていた息子たちとも、『もし次に再発したら、延命より除痛を優先しよう』と話し合っていたくらいでした」
手術後も痛みは残り鎮痛薬が手放せなかったが、退院して数カ月間は歩けていた。しかし、痛みが日増しに強くなってきて再び入院。1990年11月には、再発を告げられた。
そして年明け早々に残した仙骨をすべて取り、骨盤を支えるために腓骨(脛の外側の細い骨)を切って移植、金属プレートを入れるという前回よりもさらに大がかりな34時間におよぶ大手術が行われた。
「2回目の手術は心も体も本当につらかったですね。胸から膝までギプスで固定され、自分ではまったく動けない状態が半年間続いたのですから。よく我慢したなぁと自分でも思います」
退院して帰宅しても5分と座っていられなかった。食事のときに5分座り、好きな手芸や編み物をするのに5分座る。小物を作るために10分、15分と座る時間が延びていき、3カ月後にようやく1時間座れるようになった。弱った体は、遅々としてだが回復に向かう一方、2回目の手術で別所さんは足の自由を失った。
難病に罹患、生死をさまよい数度の大手術で一命を取り留めたが車椅子生活となる。 再起し卓球に取り組んだのが45歳。練習と負けん気の強さから兵庫県代表、国内代表と極め、2004年には、日本代表でアテネパラリンピック出場
2013年3月21日「たちあがるチカラ」自叙伝を出版
《大会実績》
2002年 世界選手権大会(台北) 個人戦ベスト8
2003年 USオープン大会(コロラド)個人戦 優勝
2004年 アテネパラリンピック大会 出場
2005年 フェスピック大会(マレーシア)
個人戦ベスト6 オープン戦 個人戦準優勝
2006年 世界選手権大会(モントレー) 個人戦ベスト4
2007年 アジアオセアニア選手権大会(韓国)個人戦ベスト6
2008年 北京パラリンピック 個人戦5位
2009年 アジアオセアニア選手権大会(ヨルダン)個人戦3位
2010年 アジアパラリンピック選手権大会(広州) 個人戦ベスト8
2011年 USオープン大会(ミルウオーキー)個人戦 優勝
台湾オープン大会個人戦 優勝
スロバキア大会準優勝
中国大会個人戦ベスト4
イギリス個人戦ベスト4
2012年 ロンドンパラリンピック 個人戦5位
2013年 スロバキア大会 個人戦準優勝
2014年 アジアパラゲーム選手権大会(韓国)個人戦3位
世界選手権大会(北京)個人戦5位
《国内》
1996年 ジャパンオープン肢体不自由者卓球選手権大会(山口)初参加
横浜大会準優勝
熊本大会3位
姫路大会優勝
岡山大会準優勝
神戸大会優勝
大阪舞洲大会 優勝
2015年 個人戦優勝5連覇
苦労を知っている外国選手が「レジェンド」「バタフライ・マダム」と呼んで敬意を表している。
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