もくじ
パラトライアスロン競技とは?
25.75km(Swim 750m / Bike 20km / Run 5km)の3種目をこの順番で連続して競技し、順位を決めます。
スイムからバイク、バイクからランへのトランジットの時間も競技時間に含まれます。ITU(国際トライアスロン連盟)の競技規則により、選手の持つ障がいに応じて「PT1~PT5」の5つのカテゴリーに分類され、それぞれのカテゴリーにより順位が決定します。
トライアスロン日本代表 9月11・12日
秦由加子 PT2
山田敦子 PT5
木村潤平 PT1
佐藤圭一 PT4
名簿の判例
- ①名前(よみがな)
- ②性別
- ③年齢(2016年9月7日現在)
- ④現住所(都道府県・市区町村)
- ⑤勤務先
- ⑥所属先(クラブ・チーム)
- ⑦障がい種別
- ⑧クラス・持ち点
- ⑨競技パートナー(いる場合)
木村 潤平
①木村 潤平きむら じゅんぺい ②男
③31歳(2016年9月7日現在)
④東京都板橋区
⑤東日本電信電話株式会社
⑥NTT東日本
⑦関節拘縮症
⑧PT1
先天的な下肢不全により、幼稚園の頃から松葉杖利用。
木村はこれまで、アテネ2004パラリンピック競技大会、北京2008パラリンピック競技大会、ロンドン2012パラリンピック競技大会に、水泳の日本代表として出場。
佐藤 圭一
①佐藤 圭一さとう けいいち ②男
③37歳(2016年9月7日現在)
④愛知県名古屋市
⑤エイベックス・グループ・ホールディングス株式会社
⑥エイベックス・グループ・ホールディングス株式会社
⑦先天性による左手関節部欠損
⑧PT4
もともとはクロスカントリーとバイアスロンでバンクーバー、ソチパラリンピック2大会出場、世界を舞台に活躍していました
2010年冬季バンクーバーパラリンピックからクロスカントリースキー日本代表として2大会連続出場。クロカン王子がニックネーム
2016年4月 ITUトライアスロンアジア大会、パラトライアスロンのレースで優勝
先天性、形成不全による左手関節部欠損の障害を持って誕生した佐藤圭一さん。
佐藤さんが競技を始めたきっかけは、19歳の時に長野パラリンピックで日本人選手の活躍を観て、自身も世界の舞台にたちたいと思い、競技者として歩む決意をしました。
しかし経済的にも厳しく、また佐藤さんの出身地の愛知県は雪がなく環境面でも苦境に立たされました。その事で一時は競技者としての道を諦めた時期もありましたが、競技に対する強い想いから勤めていた会社を辞め、2005年5月に単身カナダへ旅立ちました。
帰国後、数々の大会で経験と実績を積み、2007年には念願の日本ナショナルチーム選手(B指定選手)へのメンバー入りを果たします。佐藤さんの目標はW杯での入賞、2010年バンクーバーパラリンピックで入賞、また、競技者としてだけでなく、障害者スポーツで多くの人に感動と勇気を与えたいと、日夜練習を重ねて一歩ずつ確実に前進しています。
秦 由加子
①秦 由加子はた ゆかこ ②女
③35歳(2016年9月7日現在)
④千葉県市原市
⑤キヤノンマーケティングジャパン株式会社
⑥マーズフラッグ・稲毛インター
⑦疾病による右大腿1/2以上欠損
⑧PT2
13歳で骨肉腫を発症し、右大腿部より切断。
幼少のころに経験した水泳を2007年に再開し、2008年より障がい者の水泳大会に出場。2010年から2012年まで「日本障がい者水泳連盟」の国際大会強化指定選手として国内外の大会に出場。
2013年トライアスロン競技に転向。同年6月幕張トライアスロン大会へ積極的に参加し、好成績を残す。
2014年7月JTU(日本トライアスロン連合)のパラトライアスロン強化指定選手A指定を受ける。
2016年の成績
トライアスロン
2016年 7月24日
ITU世界パラトライアスロン選手権(オランダ・ロッテルダム) PT2 5位
2016年 5月14日
ITU世界パラトライアスロンイベント(横浜) PT2 2位
2016年 4月29日
ASTCアジアトライアスロン選手権(広島・廿日市市) PT2 優勝
2016年 4月24日
ITU世界パラトライアスロンイベント(オーストラリア・ペンリス)PT2 2位
2016年 3月20日
ITU世界パラトライアスロンイベント(南アフリカ・バッファローシティ)PT2 4位
水泳
2016年 6月11日
第30回関東身体障がい者水泳選手権大会
S9クラス 400m自由形 優勝 / 100m自由形 優勝(大会新)
競技との出会い~世界へ
競泳からパラトライアスロンへ転向した2013年より数々の優勝・好成績を収め、通常のトライアスロン競技大会においても健闘するなど、その能力は日々驚異的に伸び続けています。
そんな秦選手ですが、義足での生活を余儀なくされて以来、スポーツとは全く無縁の生活を送っていたといいます。幼少時に経験し、唯一好きな運動であった水泳をまたやってみようと思い、地元チーム「千葉ミラクルズSC」に自ら応募したのは2007年、社会人になった後のことです。練習に打ち込み大会出場を重ね、ついに2010年には競泳の強化指定選手に選出されるまでになりました。
さらにその後、多くのパラリンピアンも所属する障がい者陸上競技チーム「ヘルスエンジェルス」の練習にも参加するようになります。13歳で足を失くした秦選手は、それから約18年もの間走ったことがなく、初めは早歩きから、そして恐る恐る走り出すと、地面を蹴った反発が義足を通じて身体に伝わり、全身が宙に浮いた瞬間の感動は今でも忘れられないそうです。
未知の世界への好奇心からトライアスロン競技へと惹かれた秦選手は、現在「稲毛インター」に所属し、2013年より競技大会へ参加。2014年にはJTU(日本トライアスロン連合)パラトライアスロン強化指定選手 A指定を受け、2015年より海外大会へも積極的に出場し、パラトライアスリートとしての経験を積んでいます。
山田 敦子
①山田 敦子 やまだ あつこ ②女
③42歳(2016年9月7日現在)
④兵庫県尼崎市
⑤アルケア株式会社
⑥アルケア株式会社
⑦先天性白内障による眼球ろう(義眼)、先天眼振
⑧PT5
後3ヶ月で左眼は「先天性白内障」と診断され、3度も手術を受けたものの失明。
その後、親の仕事で高知→茨城→北海道(名寄・恵庭)→鳥取にお引越し。
視力低下等の理由から大学院を中退し、絶対住むはずのなかった大阪へ移住、
社会人となりました。
その後も視力が徐々に低下し続け、2011年には0.01となり、視覚障害者1級となりました。
トライアスロンとの出逢い
マラソンが嫌になってきた頃、とある飲み会で大西監督を紹介され「泳げるんだってね、ぜひタンデムにも乗ってみない?」とナンパのような(?)お声かけをいただきました。
私も軽いのりでやってみたいと答えて、TRI6 westに入ることになりました。
一番の決め手は「女子選手が今はいないから、パラリンピックも夢じゃない。しかも先駆者と呼ばれるようになるよ」という言葉。表彰されるかも、そんなことは私の人生になかった。片目がなくても健常者として扱われ、なのに夢だった医者にもなれず、研究者もあきらめた私は、これから何をしていけばいいのかわからなくなっていました。
だからすごくうれしかった。
そして初めてタンデムに乗ったときも、自転車は昔から苦手で、もう乗ることもないんだろうと思い始めていたので、あんなに風が気持ちいいなんて、初めて気付きました。
できる範囲でがんばるようにしていくと、どんどん周りにサポーターが集まってくれて、自然と「team ATSUKO」になってくれました。
2013年からはアスロニア様、2014年からはグンゼスポーツ様がいろいろな形でスポンサーになってくださって、さらにサポートしてくれています。
パラトライアスロン、パラアクアスロン
◆ 世界トライアスロン横浜大会 パラトライアスロンTRI6の女子の部 2012年 1位
◆ 世界トライアスロン横浜大会 パラトライアスロンTRI6の女子の部 2013年 1位
◆ 世界トライアスロン横浜大会 パラトライアスロンPT5の女子の部 2014年 4位
◆ 世界トライアスロングランドファイナル パラトライアスロンPT5の女子の部 2014年 9位
◆ 世界トライアスロンサンシャインコースト大会 パラトライアスロンPT5女子の部 2015年 2位
◆ 世界トライアスロン横浜大会 パラトライアスロンPT5の女子の部 2015年 2位
◆ 世界トライアスロンイゼオ・フランチコルタ大会 パラトライアスロンPT5女子の部 2015年 DNF(途中棄権)
◆ 世界トライアスロンリオデジャネイロ大会
(プレパラリンピックイベント)
パラトライアスロンPT5女子の部 2015年 7位
◆ 世界トライアスロンバッファローシティ大会
パラトライアスロンPT5女子の部 2016年 6位
◆ 世界トライアスロンペンリス大会
パラトライアスロンPT5女子の部 2016年 2位
世界トライアスロンリオ大会2015(ガイド;脇 真由美さん)
◆ 世界トライアスロン横浜大会
パラトライアスロンPT5女子の部 2016年 3位
◆ 世界トライアスロンストラスクライド大会 パラトライアスロンPT5女子の部 2016年 3位
◆ 世界トライアスロングランドファイナル
パラトライアスロンPT5女子の部 2015年 10位
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